◆9月25日
なかの落語長屋(なかの芸能小劇場)
全太郎『寿限無』/鯉昇『船徳』//仲入//鯉昇『竈幽霊』
★鯉昇師匠
『船徳』
「某寄席の二階席は違法建築である」という話から地方の落語会で鯉八さんと「親子会」をしたら三人組のオバサンに「親子にしては似て無いわね」「連れ子らしいわよ」と言われたというお馴染みのマクラから「落語に出て来る若旦那は気力・体力・活力ゼロ」と振ったり、自らの居候体験を振って本題へ。勘当された質屋の若旦那(名前は言わない)が船宿の親方と出会う件から始まる。この若旦那は一日に「あの、おまんまですか?」として言わず、「一日の仕事は主に睡眠」「過眠で寝疲れする」等と言っている能天気なキャラクター。親方が何とか働かせようと「若い若いと思っているうちに毛が抜ける」は自虐ギャグで可笑しいが、若旦那が「口に出すのも憚られる職業」といって「船頭」を挙げるのはもっと可笑しい。「船頭になりたい」という若旦那に親方が「取り敢えず形だけは船頭のふりをして、掃除や手伝いでもしてろ」というのは鯉昇師匠ならではの可笑しさ。そこから、「四万六千日の由来」に脱線して、「一升桝に入る米粒の数が四万六千粒」という所から「一升→一生」の意味で「四万六千日」となったが、某師匠が実際に計ってみたら「三万八千粒」しか入らなかったと説明する。所が、大河ドラマの撮影で四百年前の稲を師匠の友達が暮らす静岡県久留米木の棚田に植えた所、今の米より小さくて実際に一升桝に四万六千粒入った、という蘊蓄は得難かった。今は「直虎米」として売っているとの事。何も知らない二人の馴染み客が「船は泳げない人のためにある」と言って若旦那を猪牙舟の船頭に雇ってしまうが、若旦那は「何回も何回も船をひっくり返した」とか「こないだ流された人だって絶対何処かで生きてます」といって舟を出してしまう。舟が出る時に船宿の女将が十字を切るのは素晴らしく可笑しい。棹を流してしまった若旦那の「棹がいつも浮いてる場所は分かってる」と平気の平左なのも可笑しい。猪牙舟が斜めに揺れるというのはリアルで「和船を漕げるのが自慢」という鯉昇師匠だけの事はある。舟が大川に出ると両義士に大勢の人が出て若旦那を励ます垂れ幕を幾つも掲げるが、それが全て在原業平・豊臣秀吉・浅野内匠頭の辞世の句であるのに客が気付くのも大笑いである。そのうと、客の背中から若旦那のすすり泣きが聞こえてくると、若旦那は「止めた」と言って櫓まで投げ出してしまうというナンセンス。最後は客一人を残した舟が流されるのを見送って、若旦那を背負った客が「質屋の倅、とうとう舟まで流しやがった」というオチになる。マクラが長く55分の高座だったが、兎に角ナンセンスで面白い一席。
『竈幽霊』
三代目三木助型だけれど「地」を多くした簡略型でマクラから30分強ナノは流石。学校公演で『粗忽の釘』を演じたら「箒」は「竹箒」しか見た事がないと女子高生に言われ、それから「釘に掛ける箒」を「ロザリオ」に変えた経緯の話を経て本題へ。最初に竈を買いに来た男が幽霊に怯えて古道具屋へ竈を返しに来るが、三木助型だと「古道具屋へ泊めてくれ」と言う所を「今晩は友達の所へ厄介になる」と変えているのは珍しい。何度も竈が客と古道具屋の間を行ったり来たりした挙句、最後に買いに来るのが三木助型だと最初に買いに来る上方者になっていて、「友達おらん、寂しい身の上。おまえのうちでかみさんと一緒に寝る」と言うのは面白い。そのうち、「古道具屋で売っている石燈籠が夜中に散歩している」とか「火鉢が夜中に池を泳いでいた」等の噂が立ち、品物がパッタリと売れなくなってしまう。これを「向こうぶち」の熊五郎と若旦那(〚船徳〛の若旦那が船宿を追い出されてきた設定なのは可笑しい)が貰い受けるると竈の中から三百円出て来てからは普通の展開になるが、「地」沢山でトントン進めるから展開が早い早い。熊五郎が待ち受けている所へ幽霊が現れると、熊五郎が「宙に浮かんでないで座れ!」と命令したのには笑った。三百円を二人で取り合おうと丁半博打を始めるが、賽を見て喜ぶ幽霊を見た熊五郎が「活き活きしてきたね」という科白も可笑しい。もう少し細部の会話が欲しいとは思うけれど、この噺はこのくらいの尺が適切ではなかろうか?
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