自滅する火鉢

2017年10月17日

火鉢 人も地球も健康に

<>

髪を掻き揚げてぐしゃぐしゃにする癖は男っぽい仕草として高校生の頃から意識してする様になったと雑誌のインタビューで語っている。大学生時、レコードショップのアルバイトでは「お客さんが来る度に髪をぐしゃぐしゃする」という理由で3日で辞めさせられた。
別名 みやじ、ひろじ、先生
生誕 1966年6月12日(50歳)
出身地 日本 東京都北区赤羽
学歴 東京国際大学
ジャンル ロック
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ボーカル
ギター
ブルースハープ
活動期間 1976年
1981年 –
レーベル ユニバーサルミュージック
(ex:エピックソニー, ポニーキャニオン, 東芝EMI)
事務所 フェイスミュージックエンタテインメント
共同作業者 エレファントカシマシ

宮本浩次(みやもと ひろじ、1966年6月12日 – )は、日本のロックミュージシャン、シンガーソングライター、元童謡歌手。ロックバンド・エレファントカシマシのボーカリストおよびギタリスト、音楽プロデューサー。東京都北区赤羽出身。
人物 人物像 NHK東京放送児童合唱団に小学校3年生から5年生まで入団。声楽指導を受けていた。ソロを任されるほど歌が上手くボーイ・ソプラノのスター的存在であった。また、ウィーン少年合唱団との交流もあったと言う。声域は裏声も含めhihiAを越える曲もあり「覚醒(オマエに言った)」「生命賛歌」「部屋」などがある。「曙光」は、hihiA#。さらに「男は行く」「コール アンド レスポンス」はhihiB。「星くずの中のジパング」はhihiC#である。
デビュー当初からテレビ出演もライブでのMCもほとんどなく、雑誌などのインタビューでも無口・無愛想を貫くキャラクターであった。しかし1992年頃、何の前触れもなくライブで突然フレンドリーなMCをしはじめたときには、客席から「宮本ぉー、何があったのか言え!」との声が飛んだという[1]。
髪を掻き揚げてぐしゃぐしゃにする癖は男っぽい仕草として高校生の頃から意識してする様になったと雑誌のインタビューで語っている。大学生時、レコードショップのアルバイトでは「お客さんが来る度に髪をぐしゃぐしゃする」という理由で3日で辞めさせられた。その他、メキシコ大使館の草むしりや船着場のアルバイトなどを経験している。
出身地である赤羽がバンド誕生の地である為、バンドのアイデンティティーとして、またファンの聖地として語られることが多い。
しかし本人は、特に赤羽に対して思い入れは無いとラジオで語っている。その反面、憧れの文豪が過ごした東京の地そのものに対する郷土愛には相当なものがあり、数々の歌に納められている。エレファントカシマシのアルバム『浮世の夢』のジャケットは赤羽一番街商店街で、ヒットシングル「今宵の月のように」のプロモーション・ビデオの一部は赤羽の荒川土手で撮影。また、「桜の花、舞い上がる道を」のプロモーション・ビデオは赤羽台団地内にて撮影が行われた。
趣味・嗜好 音楽 幼少時はベートーヴェンのクラシックや沢田研二などの流行歌や歌謡曲を好み、当時隆盛であったラジオのベストテン番組を熱心に聴いていた。中学に入ってからは、同級生で後にエレファントカシマシのドラムスを担当する冨永義之の薦めもあり、ディープ・パープル、レインボー、ドアーズ、レッド・ツェッペリン、ローリング・ストーンズなどに傾倒し、RCサクセションの『BLUE』は全曲コピーしたほどの愛聴盤であった。後に、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのようなファンクや、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レディオヘッド、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、ナイン・インチ・ネイルズといったオルタナティヴ・ロックに感銘を受けたことも公言している。
最も好きなヴォーカリストとしてドアーズのジム・モリソンの名を挙げている。
読書 散歩や移動の際には岩波文庫・講談社学術文庫などの文庫本を携帯していることが多い。作家は森鴎外・永井荷風・太宰治・夏目漱石・滝沢馬琴・ゲーテ・ニーチェなど、古典的な名作文学を敬重し、鴎外や荷風といった一部の作家は楽曲の歌詞にも登場する。中原中也は「大嫌いなので絶対に読みません」とラジオ番組内で公言している。また歴史書等も愛好している。
散歩 好きである。過去に夏目漱石『三四郎』、森鴎外『青年』・永井荷風『日和下駄』等の作品を準えた古地図を基とした散歩に趣をおいていた。『上野の山(浮世の夢)』・『月夜の散歩(明日に向かって走れ-月夜の歌-)』・『雨の日に…(町を見下ろす丘)』・『冬の朝(STARTING OVER)』といった散歩風景を描写した散歩に纏わる楽曲も多く作品として残している。
煙草 ヘビースモーカーであり、何度も禁煙をしようとしては失敗している。レコーディングなどでスタジオに缶詰めになる際には1日で80本近く吸ってしまう。
食べ物 好きな食べ物を聞かれると昔はハンバーグとカレーと答えていたが、現在ではスパゲッティと答えている。一人暮らし当初、中華鍋ひとつだけで自炊し、得意料理は中華料理であったが、柳宗理のパスタ鍋を購入してからは専らパスタ好きになった。映画「扉の向こう」にもそのパスタ鍋が登場している。また、母親がよく買ってきてくれたという銀座アスターの肉団子も好物の一品としている[2]。雪印(現:メグミルク)の牛乳を飲む習慣がある。嫌いな食べ物は茗荷で、理由は「ネギと思い込んで食べたら見当違いの味がして吃驚した」から。
日本古来のもの 浮世絵や掛け軸などの日本古来のものを好み、古美術商や骨董市に足を運ぶ。また、地方ツアーの際にはイベンターの送迎を断り、移動時間に余裕をとって各地の城跡や古墳を訪れている。最も好きな古墳の1つとして埼玉古墳群を挙げている。芥川龍之介に憧れ、火鉢を収集していたことがある。10個の火鉢に囲まれて読書をしたときには、一酸化中毒になった。江戸古地図や江戸名所図会の収集家でもあり、趣味が昂じてタモリ倶楽部の古地図探訪の企画番組やバラエティ番組で古地図講師として出演した。
急須 収集している。130年前の骨董急須を含め、所有数は100個程である(2009年2月現在)。本場、中国宜興の急須を手に入れるべく、中国語講座で1年間学習し過去5回程中国へ渡航した。使い込むほどに飴色に輝き風合いを増す急須の光沢を得るため烏龍茶(鉄観音)を多飲する。多い日は1日100杯。常にお湯を沸かし茶壷にお湯を注ぐという作業を繰り返すので、生活導線を短縮しキッチンのみで寝食生活を行っていたこともある。
将棋 将棋棋士・加藤一二三、森内俊之のファン。喫茶店で偶然居合わせた森内棋士に緊張しながらも
を掛け、サインを頂戴した程である。CS放送の囲碁・将棋チャンネルの視聴は日課であるという。
ル・コルビュジェ ル・コルビュジェの著書「建築をめざして」に影響を受け、コルビュジェ建築の見学の為にフランス縦断旅行を行い、またレコーディングでニューヨークへ渡航した際には、建築家フランク・ロイド・ライトが設計したグッゲンハイム美術館を訪れたりと、一時期は建築デザインやインテリアデザインについて追求した。
衣装 デビュー当初は父親のジャケットを借りてステージ衣装にしていたが、ポニーキャニオンへの移籍直後はロックのイメージへと変えるために髪を伸ばし、アニエス・ベーの白シャツを着用するようになった。白シャツ(又は黒シャツ)に黒のパンツスタイルが多い。現在のプロモーション・ビデオやコンサートでの衣装はN.ハリウッドで、パンツはN.ハリウッド×Levi’s517を着用。2008A/Wのコレクションが掲載されているN.ハリウッドのムック本では、N.ハリウッド好きの17人の中の一人としてインタビューが掲載されている。
車 小学校の頃からポルシェと決めており、最初に購入した車はポルシェ・ボクスター、次にポルシェ・カレラ[要曖昧さ回避]RSとポルシェ以外の車を所有したことはない。徐々に旧型に移行し、2009年4月の時点では乗り換え7台目であった。2010年2月にはピストン西沢からの誘いを受け、富士スピードウェイでサーキット走行デビューした。
エピソード 両親と歳の離れた兄からはとても可愛がられて育ったらしく、「僕は猫かわいがりだった」と語っている。学研の総合百科事典に乳幼児成長記録のモデルとして「1歳にして立つ」というタイトルで1歳時の写真が掲載されていた事がある。
NHKみんなのうた「はじめての僕デス」で歌手デビュー。当時レコード会社各社から競作でシングルレコードが発売された。(1976年9月1日、東芝EMIより発売)10万枚のヒット。レコー

平等主義の崩壊と火鉢の勃興について

沖縄の冬は、
・「何となくしのげてしまう」微妙な気温(10度~20度)
・たえまなく吹く海風、気流の流れ
・日本一の日照の少なさ
が相まって、独特の冷え込みを感じさせる。

まきストーブをガンガンに焚いた北海道の室内では決して着ないパーカーを、
中途半端な沖縄の冬では室内着として常時着用していたり、
人によっては薄手のダウンを常用している人もいたりして、
沖縄に着た当座は笑ったものだが、
三日も居るともうその独特の「寒さ」を体感し始める自分がいた。

調理と暖房には、主に備長炭や九州の木炭を使って今冬を過ごしている。
(着火はロケットストーブを使用)
遠赤外線を発する火鉢は、身体も心も暖まるし、
お湯を沸かしても湯の味が「まろやか」だし「冷めにくい」ので驚く。
玄米を炊く際にも、
圧力鍋でゴーーーと炊くより、火鉢に置いた釜で沸騰してから25分ほど
ゆっくりと炊き上げたほうが明らかに美味しい。

快適炭ライフのために、
やちむん(沖縄の焼き物)の火鉢がないかと探していたら、
というサイトに掲載されていた6年ほど前の記事で、
ある焼き物の写真に見入ってしまった。

読谷にあるやちむん工房の山田真萬(しんまん)という方の作品らしい。
読谷は、窯元が集まるやちむんの里がある事で有名だ。

さらに同じ記事で紹介されていた「角甕(かくがめ)」
(これは弟子のどなたかの作品のようです)
!!

やはり、やちむんの火鉢をさがし当てる事にしよう。
と決めた。

那覇の「やちむん通り」「壺屋横町」と、読谷の工房を尋ねてみる事にします。
まだ沖縄に来てシーサーをちゃんと祀っていないので、
この機会にシーサーも探してみる事にしよう。

三宅商店としては炭焼きの技術も、仕入れたい。

コメントはまだありません

コメントは受け付けていません。