先日、武道館でブラーを観た。
ブラーの音楽はとても豊かで、こんなにも私たちの生活に寄り添ってくれていたのかと驚いた。歌詞に「カラオケ」が出てきたり、<ワレワレハカイシャデハタライテイル>と日本語で歌ったり、オアシスよりもレディオヘッドよりもずっと身近な存在だったかも知れない。他のどのバンドよりも「イギリスの音楽」なのに、「かっこいいイギリスの音楽」を飛び越えて、「私たちの生活の音楽」として響いてくるから不思議だ。
改めて、「ブリットポップ」って何だったんだろう。
98年のテレビ番組で、エレカシの宮本は「イギリスの音楽を好きな女ってのはさぁ、ブラー!って言っちゃってさぁ、インテリでさぁ(ブツブツ)」と言っていた。
先日武道館で観るまで、私がブラーを観たのは 97年に一度きり。旧・赤坂ブリッツで、ぎゅうぎゅう詰めで背の高い男子だらけで姿なんてほとんど見えなかった。姿だけでなく、私は「ブリットポップ」についてもよくわかってなかったし、「ブラー VS オアシス」で盛り上がっていたけど、一体何が「VS」なのかもわからず、両方好きだった。
ブラーは、ファーストアルバム『レジャー』(91年)をリリースした後、過酷なアメリカツアーを行ったが、当時ニルヴァーナなどのグランジブームだったアメリカで受け入れられず、その反動で、「俺たちはイギリス人だ!」な音楽を作り、それが「ブリットポップ」へと繋がっていった。
しかし今度は、オアシスが登場し、イギリス音楽を盛り上げた立役者であるはずなのに、なぜだか追いやられる形に――。
そして、デーモンの「ブリットポップは死んだ」という発言とともに、頑なにイギリス的であろうとすることを止め、アメリカに目を向けたアルバム『ブラー』(97年)を出す。ウーフー!で有名な「ソング2」はこれに入っているし、「ルック・インサイド・アメリカ」はアルバムを象徴していて、私はこのアルバムを一番聴いたと思う。
グランジブームのアメリカでブラーが受け入れられなかったのは、チャラチャラした印象があったからかも知れない。ヘヴィでラウドで骨太なグランジからしたら、チャラチャラして聴こえてもおかしくない。男気って感じでもないし、ブラーのメンバーはルックスも甘い。そんなところもあって、エレカシ宮本の「ブラー!って言っちゃって」なのかも知れない。
しかし、チャラチャラしているようで、ブラーはどこかイビツで、歪んでて、悲しい。
エレファントカシマシは、バブルで浮かれた時代に、『浮世の夢』(89年)、『生活』(90年)を出した。浮かれた世間に背を向けているようで、必死に食らいついている。リアルタイムで聴いたわけではないけど、私はそう思っている。
グランジブームが吹き荒れる中、イギリス人の音楽を確立しようともがき、イギリス人の悲哀や滑稽さやユーモアを描いたブラーと、バブル期にスズメや火鉢や小さき花を歌うしかなかったエレカシは、実はそう遠くないんじゃないか。
ブリットポップのバンドの中で、ブラーほど「イギリスのロック」について考えたバンドもいなかったと思う。
エレカシ宮本は、ニルヴァーナなどのグランジに対して、「俺たちの方が先にやってる!」と言い放った。
ブラーは、「俺たちはイギリス人だ!」と立ち向かった。
「きこえるかい」
しかしその後ブラーは玉砕し、「ブリットポップ」からの脱皮をはかり、忌み嫌っていたはずの「アメリカ」に目を向ける。
そんなところもまた、エレカシと通じるところがあるような気がしてくる。己自身の化けの皮を剥がしていくような。00年末、「俺は “日本風” に生きてゆくことは半ば諦めた」と宮本は綴っていたっけ。
ところで、「グランジ」も「ブリットポップ」も、90年代に起こったブームでありムーブメントである。
そんな「90年代」に、私は何を聴いていたんだろう。
もちろんブラーも聴いていたし、私もブリットポップにハマったクチなのだが、前述の通りブリットポップが何かもわかっていなかったし、「ブリットポップです」と言ってしまうのはためらわれる。
まぁ、「L⇔R とビートルズとイギリスの音楽」だろうな。
私の「浮かれた時代」だったかも知れない。
L⇔R やビートルズやイギリスの音楽が浮かれた音楽だったというわけじゃない。
そんな私に殴り込みをかけて来たのが「椎名林檎」だった。扉が一気に開いた。「イギリスの音楽ってかっこいい!」から「日本の音楽ってかっこいい!」になった。本当に鮮烈だった。
しかし、それもまた、本当の「夜明け」ではなかった。
あえて書くけど、結局、私にとって、椎名林檎はポーズでしかなくなってしまった。
90年代後半から、地味に私のココロをノックし続けるバンドがいた。
00年、私は「エレファントカシマシ」に出会う。
グッドモーニング!!
私の「00年代」がはじまった。
今までイギリスの音楽に浮かれていれば良かったのが、日本の音楽とは?自分たちの音楽とは?なんて考えなければいけなくなった。
そして、イギリスの音楽に浮かれていた自分からしたら、もっとも遠いところ、もっとも忌み嫌うところ、もっとも恥ずかしくてダサいところから、「日本の音楽」を歌っている歌手がいた。「浜崎あゆみ」だった。
あゆなんて、チャラチャラした音楽だと思っていたのに。
思えば、ファッションで聴かれることを頑なに拒んできたのが、エレファントカシマシと言えるかも知れない。それと同じことを浜崎あゆみもやっていた。
01年、「宇多田ヒカル VS 浜崎あゆみ」のアルバム同日発売なんてのもあったが、あれは日本にとっての「ブリットポップ」あるいは「グランジ」だったのかもね。
00年に発売された浜崎あゆみのアルバム『Duty』は、90年代の終わりと 00年代のはじまりを告げる、『ネヴァーマインド』(91年)級のアルバムではないかと、このまえ聴いてて思った!!
グランジでもブリットポップでも J-POP でも。
自分たちの音楽を鳴らすべく反抗を続けてきた歴史がそこにはある。
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喧嘩別れをした後も「碁敵は 強さも憎し 懐かしし」の通り、言い出した方は「待ったなんていわなきゃ良かった」。言われた方も「待ってやれば良かった」といい、美濃屋にタバコを忘れて行った方は「誰かに行って取りに行かせましょう」という言葉には、「それが無いと美濃屋に行く口実が無くなる」と反発。結局タバコを取りに行くと美濃屋はまだ現役で店にいるのですが、なぜか口やかましい。荷物が出しっぱなしなら「商売の邪魔だからとっとと仕舞え」と叱り、忘れて行ったタバコを届けさせようかと言われれば「私事に使用人を働かせるなんて、公私混同も甚だしい」とまた叱り付ける。
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