わたしの天職は「お猫様の下僕」であると
つい最近気づいてしまった
オフィス音多歌樂箱・サチコ&マーボーの
サチコです。
どれくらい下僕かと申しますと、
一心不乱にカリカリを食すキナコさんと
「オレもよろしく」とやってきた
ふくちゃんの尻尾の付け根を
同時に(あちらの気がすむまで)連打するのが
日課であることからお察し下さい^^;

さて、朝方にすごく鮮明な夢を見ました。
地元ではない、どこかの研修会場で
3時間のコマで対人援助職らしき人を対象に
「自分を含めた『ひと』との付き合い方」
っていう内容の講演をしていて、
しかも場内大ウケ、笑いの渦、という(笑)
ただ、何をしゃべって爆笑だったのかは
覚えていませんが、
「人をケアする側の、自分の労わり方」
「この仕事が好き」という想いの『本質』」
こんなような話を、グループワークを
交えながら掘り下げつつ、自分の
「本当のところ、どうなの」を知るという
我ながらなかなか面白そうな中身

実現する気がしてなりません(笑)
















以下、Facebookの介護職関連グループに
投稿した内容をコピペします。
こんな話をざっくばらんにできたら
面白いな、と思いまして…
















「この仕事は好きなんです。でも…」
(処遇が悪い、上司に現場の辛さが伝わらない、
人手不足できつい、人間関係がつらい、
体調を崩しているが休めない、etc.)
介護や看護の世界に身を置く人に
非常に多い葛藤ではないかと思います。
わたし自身も経験あり。
(勤務していた老健で、人員補充がないまま
デイケア定員を増員され、にっちもさっちも
いかなくなったときに上長と事務長に
直談判したら「つべこべ言わないで働け」と
言われ、上がそんな考え方でいると誰も
働く人がいなくなりますよ、とやり合った)
対人援助職に限ったことではなく、
この状況おかしいだろ~、しんどいよ~、
心身ともに限界だよ~、となった時、
こんな想いもやってくるのではないでしょうか。
「自分で決めて入った世界だから」
「苦労して免許(資格)を取ったんだから」
「せっかく試験に受かって入ったから」
「気の合う同僚と励まし合ったりできるから」
「わたしが辞めたらみんなが困るから」
…ほかにもあると思いますが、
アキレス腱が切れた音、
聞いたことあります?わたしはあります。
枝が折れるような、体内から発せられるとは
思えない異様な破壊音。
こういう気の取り直し方で踏ん張って、
ある日突然、アキレス腱が切れるように
心と身体がバキーンと音を立てて
切れてしまった人をたくさん知っています。
どうかどうか、
自分をそれ以上痛めつけないで…
アホな上司や管理職には、
「こんなんじゃ、やっていけません」
「働く者をなんだと思ってるんですか」
こんな程度は言っても足りないくらいです。
言っても伝わらない方が多いかも知れない。
そうと分かれば、その職場(または業界)は
長居無用ですよ~、という内なる声かも。
同僚や利用者さんを想う優しい気持ち、
会社や組織に巧みに利用されていませんか?
そして、
「雇用されている側だから何も言えない」
と頑なに思っていませんか?
言っていいんです。いや、言わなきゃ。
いまの処遇や人件費のしくみは、たしかに
国が作って
います(だから欠陥だらけ)が、
います(だから欠陥だらけ)が、
組合が、先輩が、主任が、社会が、
そして国がどうにかしてくれるのではなく
粗末にされていると感じる処遇には
自分自身のために納得いく説明や改善を
求めたっていいんです。
その結果、ひとり去りふたり去り、
「そして誰もいなくなった」としても
それはその組織が人を人とも思わず
企業の利益や損得を優先したゆえのこと。
よくよく話せば「なんだ、そういうことか」
と腑に落ちることもあるかも知れないし、
たとえ僅かでも状況は変わるかも知れない。
最近、思うんです。
そういう壁を乗り越え、自分を労わりつつ
人と関われる喜びをプロの仕事に還元できる
皆さまが集まったら、きっとすごい
パワフルな対人援助職集団になるんじゃ
ないかな~、って。
















ちなみに、
マーボーも何だかんだ言って
きゃつらの下僕です。
嬉しいくせに


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